大桑村の発電所建設労働者

大桑発電所と須原発電所の建設労働者についてまとめた。出典は福岡大学論文と大桑村史になる。

大桑発電所

着工:1919年1月
竣工:1921年3月
延べ労働者:
 大同電力:117,771人
 建設会社:518,418人
 合計  :636,189人

工事を主に請け負った飛鳥組は第一次大戦の内地労働力不足のため、初めて朝鮮人労働者を集団で使用した。これが以降のダム工事における最初の朝鮮人労働者の採用だった。日本語が出来ない朝鮮人のみを使用したらしい。それは逃亡や金の使いこみなどを防止することが目的だったそうだ。

須原発電所

着工:1921年初頭
竣工:1922年7月
延べ労働者:不明
大正10年から12年において木曽川流域の大同電力の発電所工事に従事した朝鮮人は5,000人との記録がある。

工事を時系列に見れば、大桑発電所の工事労働者が須原発電所でも働いたと思われる。
これだけの人数の労働者が大桑村内の発電所工事に従事していたとなると、これらの労働者を収容する飯場なり、食料を含めた物流なり、一体どのようになっていたのだろうと思う。

資材運搬

鉄道(現在の中央西線)は明治40年には開通している。そのため、資材運搬は鉄道が主に使われいたようだ。須原駅から町中を通る軌道が引かれ、須原駅からの下り勾配をつかってトロッコによる資材運搬を行ったようで、トロッコにはブレーキもなく危険極まりなかったようで、須原の町の住人はおちおち道を歩いていられなかったようである。軌道は木曽川堤防(現在の国道19号線)に出てようだが、対岸に渡る橋の状況は調査中。

以下村外の発電所の記録

桃山発電所

着工:1922年8月
竣工:1923年9月
延べ労働者:366,566人

読書発電所

着工:1922年3月
竣工:1923年12月
延べ労働者:1,756,000人(当時未曽有の大工事)

大井発電所

着工:1922年7月
竣工:1924年12月
延べ労働者:1,460,000人

落合発電所

着工:1925年4月
竣工:1926年12月

笠置発電所

着工:1934年11月
竣工:1936年11月

寝覚発電所

着工:1936年11月
竣工:1938年9月

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