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須原駅の谷

須原駅は2つの谷を埋めて作られていました。

江戸時代の中山道絵図(分間延絵図)によると須原の街並みから高札場を過ぎたところの谷(1)があり、その右(上松側)にも谷(2)が描かれています。須原宿の上松側の街道筋の痕跡は残されていないと思います

痕跡が残されていないと判断する理由は、須原駅建設のため、この二つの谷とその周辺が大きく埋め立てられ、木曽川側に盛土が行われたと判断されるからです。これらの工事により江戸時代の街道筋は消滅したと思われます。

上記の国土地理院の地図ではイメージが掴みにくいので、Androidアプリのスーパー地形でもっと立体的に見て見ます。須原駅のホーム北半分にむけて尾根がせり出しているのがわかります。鹿島神社南側の谷がホーム中央に向かって伸びています。この谷の水は国道19号線の下に排水されています。このことから須原駅ホームの中央は深く切れ込んだ谷で沢が山から木曽川に流れていたことがわかります。須原駅はこの谷を埋めたうえに、ホーム、駅舎、駅前広場、駅前広場へのアクセス道路が作られたわけです。

谷1の河川水はトンネルにて駅ホームの下を通り、大和屋の北側地下を通って木曽川に流れています。写真は山側からトンネルを見ています。トンネルの上が線路とホームになっています。

谷2の河川水はトンネルにて線路下を通って木曽川に流れています。このトンネルは人が通過することができ、内部を詳しく観察することができます。

トンネルを山側から木曽川側に通過すると遊歩道橋とその先に国道19号線の橋が見えます。河川水はこれらの下を通って木曽川に流れています。

トンネルは全て精巧な石組みで作られています。須原駅建設当時の技術の高さがわかります。川底は石畳となっており、河川水の浸食を防いでいます。

写真は谷2の上松側の上から須原駅ホーム方向をみたものです。写真左上に歩道がありますが、恐らくそこには尾根があり、その尾根が現在の線路上に広がっていたと思われます。

上記尾根上あたりから須原駅ホームを望んだ写真です。。ホーム中央辺りが谷1のトンネルが通っているあたりとなります。つまり、その部分は深い谷だったわけで、その部分が全て埋め立てられ平坦地となったことが分かります。

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